ヒロの婚活心理学

なぜあなたの愛し方は、結婚に届かないのか? 婚活心理学Vol.30

顔を掌で覆う女性と隣りでスマホを見る男性

愛することは、センスではなく“スキル”かもしれない──。

「好きになれたら、自然に結婚できる」と信じていた。現実は、想像よりずっと複雑で、すれ違い、諦め、そして疲れていく。

婚活が長引く人の多くが抱えるのは、「いい人がいない」ではなく、本当は「愛し方がわからない」という悩みだと思える。


では、愛するとはどういうことなのか?そして、どうすれば“愛し続けられる人”になれるのか?

この論考は、心理学・婚活カウンセリングの実践知をもとに、婚活者に必要な“愛する技術(Art)”をひも解いていく試みだ。


価値観が合わないと嘆くより、どう育て合える関係を築くか。
ときめきの終わりに失望するより、安らぎの中で深まる絆に目を向けること。
「愛されるかどうか」ではなく、「愛せる自分でいられるか」を問い直すこと。


恋愛も結婚も、感情だけで乗り超えられない局面がある。
だからこそ、心理カウンセリングの現場ではいつも、“愛し方を学ぶ勇気”を奮い立たせている。


──愛とは、感情ではなく選び直しの連続である。
この論考は、そんな成熟のための“婚活心理学”を語っている。

なぜなら、成熟を意図した婚活の方が何倍も早いし、効果的だと確信しているからだ。

自分に”ぴったりな相手”を探しつづけるよりも。


婚活に疲れたあなたへ。
あなたのなかに眠る「愛する力」を、そっと思い出させてくれることを願っている。



【目次&内容】
婚活心理学Lesson序|“好きになれたら結婚できる”と思っていた
婚活心理学Lesson1|「愛されてる感じ」は愛じゃない

婚活心理学Lesson2|相性を”前提”にしない愛し方
婚活心理学Lesson3|“察してほしい”はもう卒業しよう

婚活心理学Lesson4|“価値観が合う人”なんていない

婚活心理学Lesson5|“理想の人”より、“成長しあえる人”

婚活心理学Lesson6|トキメキより、安らぎを信じてみる

婚活心理学Lesson7|結婚とは、“人生の記憶”を引き受けること

婚活心理学Lesson終章|“ずっと愛される人”より、“ずっと愛せる人”になる



スマホを手に彼を待つ女性

婚活心理学Lesson序|“好きになれたら結婚できる”と思っていた



恋に落ちるのは、たいてい一瞬だ。けれど、愛し続けるには、一生かかる。
恋は、始まりの芸術(Art)であり、愛は、持続の技術(Art)である。

婚活というフィールドに立つと、多くの人がこう口にする。
「ちゃんと好きになれてから、結婚したいんです」

その言葉の奥に潜むのは、愛し方に対する一種の無垢さ、あるいは、時に自然な恋愛感情を封じる誤解かもしれない。
好きになれない。ドキドキしない。

せっかく出会っても、その段階で、「この人じゃない」と決めつけてしまう。
その判断が、本当に“あなたの声”だったのか、問い返してみたことはあるだろうか?


“好き”という感情の過大評価


“好き”という感情に、私たちはどれだけの理想と幻想を重ねてきただろう?
そもそも、私たちは気づいていない。
「好きになる力」すら、多くの人がいま、失いかけているということに。

もし、あなたに結婚願望があるのに、今も一人なのだとしたら──そのことに、思い当たる節があるのではないだろうか?


たしかに誰かを好きになるとは、自分の内側に眠っている“他者への関心”を、再び目覚めさせる行為だ。
だが、長い孤独や傷ついた履歴のなかで、その力は少しずつすり減り、やがて心は「誰にも反応できない静寂」だけを抱えるようになる。
好きになれないのではない。
好きになる準備が整っていないだけなのだ。


そして準備とは、気分や直感ではなく、“関係性の筋力”によって育まれるものだ。
愛は、センス(感覚)ではなく、練習だ。
運命ではなく、鍛錬の先にある。


もし今、「条件的には悪くないのに、どうしても好きになれない」「結婚を考えたいのに、心が動かない」と感じているなら、それはあなたが未熟だからでも、不器用だからでもない。
ただ、学ぶ機会がなかっただけだ。


心の中に幻想があると


「自分と完璧にわかりあえる人がいるはず」という幻想が強いとき、恋愛はすれ違いの連続になる。
ほんの小さな齟齬や沈黙が、致命的なサインに見えてしまう。

こう考えてみてほしい。
──あなた自身は、誰かのことを、ほんとうに理解しようとしてきただろうか?


誰かが自分をわかってくれるのを待つだけでなく、自分もまた、相手に“関心を向ける技術”を身につけていく。
それが、愛のはじまりではないか。

相性は、最初から与えられているものではない。
ふたりの間に、少しずつ育っていく愛の稔りの成果なのだ。


心理カウンセリングの大切さ


婚活とは、「理想の相手」に出会う旅ではない。
「関係性を育てるという愛のリハビリ」に、自分の心を開いていく──自己開示の道である。

──だからこそ心理カウンセリングが重要になる。

“好きになる”という言葉の背後に、あなたは何を重ねてきただろうか?
安心? ときめき? 尊敬? 癒し?
それとも、「この人なら満たしてくれるはず」という無言の期待だろうか?

その問いに、丁寧に答えようとするとき、婚活はようやく、
「うまくいくかどうか」ではなく、「誰かと学び合っていく場」へと、意味を変えはじめる。

愛は、準備のないところには、決して降りてこない。
「落ちる」のではなく、「招き入れる」ものなのだ。



傘を手に待ちぼうけの女性

婚活心理学Lesson1|「愛されてる感じ」は愛じゃない



たとえば、こんな場面がある。

「このあいだ、彼が“好きだよ””この関係を大切にしたい”って言ってくれたんですけど……そのあと何も進展しないんです。

「私のこと、まだよく知らないのに」
「好きって、もっと“深く知ろうとする”気持ちだと思ってました」


これは、実際のセッションの中で交わされたやりとりの一例だ。
言葉では“好き”と伝えている。
でも、相手のことを深く知ろうとする姿勢も、行動もない。


そのとき女性が感じたのは、「愛されていない」ことではなく、「見てもらえていない」という孤独だった。

「彼は優しい。でも、ほんとうに私のことを好きなのかな?」
そんな問いが、心の中で繰り返されてはいないだろうか?


わかってほしい。でも、わかってもらえない


そして、多くの場合、その問いは“愛の欠如”ではなく、“理解されていないという感覚”から生まれている。

問題は、愛されていないことではない。
「愛されている実感」が、どこか空虚に感じられることだ。

それは「わかってくれていない」という感覚が、私たちの内面を静かに侵食していくからだ。

なぜなら、私たちはしばしば「わかってもらえた」という手応えを「愛されている」と取り違える。


そして逆に、どんなに愛情を向けられていても、「理解されていない」と感じた瞬間、その愛はたちまち崩れ落ち、信頼できなくなる。

つまり、女性のいう「愛されたい」という欲望の正体は、「私をわかってほしい」という切実な願いなのだ。

では一体、「わかる」とは、どういうことだろう?


好みや習慣を知っていることだろうか。
話を聞いてくれること? 
否定せずに肯定してくれること?


おそらくそれらは、「理解」の一部ではあっても、すべてではない。

“ほんとうに理解されている”と感じる瞬間には、 自分でも気づかなかった感情や葛藤に、相手が言葉を与えてくれるような、そんな体験がある。


「見つめられること」が、愛の実感をつくる


ときに、私たちは自分の痛みすら言葉にできないまま、日常をやり過ごしている。
そんなとき、ふとした瞬間に誰かがその痛みに名前をつけてくれたなら、
── そのとき私たちは、ようやく「見つけてもらえた」と感じるのだ。


それは、相手がこちらを“知っている”のではなく、“常に見てくれている”という感覚だ。


だとすれば、私たちが求めているのは「愛されること」ではなく、「見つめられること」なのかもしれない。

誰かにちゃんと見られる経験。
その体験を通じて、自分の存在が少しずつリアルな輪郭を帯びていく──。

それは「ただそこにいる私」が、誰かのまなざしによって“存在として承認される”過程だ。
そのプロセスこそが、“愛されている実感”の正体なのではないか。


もしあなたが、愛されているはずなのに、なぜか満たされないのだとしたら。

その違和感のなかに、あなた自身がほんとうに必要としている「関係のかたち」が、すでに潜んでいるのかもしれない。



喧嘩してそっぽを向く女性

婚活心理学Lesson2|相性を”前提”にしない愛し方



「最初から価値観が合う人がいい」 「一緒にいて会話が弾む人じゃないと、うまくいかない気がする」

心理カウンセリングの現場で、よく聞くこれらの言葉には、ある共通した前提がある。

それは、「相性とは“出会いの時点”で決まっているものだ」という信念だ。


果たして、本当にそうだろうか?

相性とは、ふたりのあいだに自然に“存在しているもの”ではなく、関係のなかで“育っていくもの”ではないだろうか。


「相性がいい」とは、どういうことか?


彼女は「相手の提案を尊重すること」を大切にしていた。

一方、彼は「その場の流れを楽しむこと」を何より優先していた。


最初のうちは、彼女は彼のスタイルに合わせようと努力していた。
「予定なんてどうにでもなるでしょ」という彼の気楽さを、自由さだと思おうとした。


だが、回を重ねるうちに彼女は少しずつ疲弊していく。
「彼のその自由さの中に、私への配慮を感じられなくなっていった」と彼女は言った。


それは、どちらが正しいという話ではない。

“計画のなかで安心する人”と“予定に縛られたくない人”が、異なるルールの中で愛そうとしていた。
──ただそれだけのことなのだ。


違和感は、最初からあった。

「合わないから仕方ない」で片付けてしまったとき、その違和感のなかにあった“育てる余地”もまた手放してしまったのかもしれない。

相性という言葉は便利なようで、実は非常に曖昧だ。

たとえば──、 彼女は議論を通して物事を整理するタイプで、パートナーに対しても「言葉で伝えて、整理し合うこと」に価値を感じていた。
一方、彼は沈黙で考えを深めるタイプ。衝突の場面でも、言葉にしないことで関係を壊さないようにしていた。


ある晩のデートで、彼女はこう言った。「黙ってるだけじゃ、何を考えてるかわからない」
彼はこう返した。「君の言葉が強すぎて、口を挟む隙がなかった」

この愛し方のズレは、どちらかが間違っているわけではない。

“話してすり合わせたい人”と“沈黙で守りたい人”の、コミュニケーションの設計図が違っているだけなのだ。


そして本当の“相性の良さ”とは、この違いを尊重しながら、ふたりで新しい対話の設計図を描き直していくことなのではないか。

私たちはよく「気が合う」と言うけれど、その“空気”を生み出しているのは、 相手の人格ではなく、“関係の質”そのものだ。


つまり、最初に感じた愛し方の“ズレ”をどう受け止め、調整しようとするか。
その繰り返しのなかにこそ、相性は形作られていく。


違和感から逃げるか、向き合うか


ほんの些細な価値観の違い──たとえば食事のペース、休日の過ごし方、LINEの頻度。
そうした愛し方のズレを「だから合わない」と切ってしまえば、関係はそれまでだ。


そのズレにひと呼吸置いて向き合い、 「この違いをどうすれば心地よいものにできるか?」と問い直せる人は、 “相性の良さ”を育てる力を持っている。


婚活において、本当に大切なのは「最初のフィーリング」よりも、 「ズレを微調整していける柔軟さ」ではないだろうか。

ふたりの違いを否定せず、そのままにせず、育てていく。 そこにこそ、成熟した愛し方の入口がある。


相性とは、“違い”の扱い方で決まる


相性というのは、「どれだけ同じか」ではなく、「どのように違っていられるか」で決まる。
意見がぶつかったとき、沈黙が流れたとき、自分と違う反応を目の当たりにしたとき──その“ズレ”にどう向き合うか。

それは単なる性格の問題ではなく、“関係性のリテラシー”の問題だ。


たとえば、「意見が食い違ったら話し合えばいい」と頭では分かっていても、実際には「自分を否定された」と感じて黙り込んでしまうことがある。
そこにあるのは論理的な不一致ではなく、感情の揺れだ。

相性を育てるとは、そうした感情の揺れを“ふたりの間で扱えるもの”にしていく過程だ。

自分が傷ついたときに「それはあなたの受け取り方の問題でしょ」と切り捨てられるのか、「そう感じたんだね」と一度だけでも受け取ってもらえるのかで、その後の関係は大きく変わっていく。
それは容易に想像できると思う。

あるいは、口論になった直後、どちらかが「さっきの言い方きつかったよね」と一歩引いて関係を修復しようとするか、沈黙を選ぶかでも、愛し方の“ズレ”の扱い方はまったく異なる。

つまり、相性とは“完成された状態”ではなく、“更新しつづけるプロセス”なのだ。


そしてその更新には、忍耐だけでなく、ユーモアと寛容さ、そして時に自分自身の価値観を問い直す勇気が必要になる。

「この人とは合わないかもしれない」と感じたときこそ、心理カウンセリングの場で、自分の反応のクセや期待の形を見つめるチャンスである。


育てる覚悟が、ふたりの関係をつくる


「わたしたちは、相性が合うからうまくいく」のではなく、「うまくいくように育てたから、相性が合ってきた」という関係性が、本当の意味で人生を支えるのだとしたら──。


婚活とは、その“相性を育てる覚悟”を、自分自身の内側に育てていくプロセスでもある。

最初から“ぴったり”なんてない。

“ぴったりだったね”と笑い合える日を、ふたりでつくっていくことはできる。


たとえば、数年後、ふたりでつくった新しい習慣や会話のテンポが、かつての違和感を懐かしく思わせてくれる日が来るかもしれない。

それこそが、「相性がいい」という言葉の、本当の意味ではないだろうか。



寂しさを周りに匂わす女性

婚活心理学Lesson3|“察してほしい”はもう卒業しよう


心理カウンセリングの場で、ある女性が語ってくれたエピソードがある。

彼女は交際中の男性に、誕生日の1週間前からわざとヒントを出していた。
「今年は、ちょっと特別な夜にしたいな」と。

当日、彼は仕事帰りに豪華な花束と高級レストランの予約メールを手にして現れた。
だが、彼女が心の奥で望んでいたのは、単なる贅沢やロマンティックな演出ではなかった。

彼女がほんとうに欲しかったのは──プロポーズでなくてもいい、将来についての“言葉での意志の表明”だった。
沈黙の中ではなく、ちゃんと聞こえる声で。


「この先も一緒にいたい」「君との人生を考えている」
──そんな、未来を約束する手触りのある言葉。


それがあるかないかで、彼女のなかの“今この関係に賭けていいか”という判断は大きく変わるのだ。

彼にとっての愛情表現は「準備」や「サプライズ」だったが、彼女にとっては「深い会話」や「心のペースに寄り添うこと」こそが、愛されている実感に直結していた。


その夜、ふたりの間に微妙な空気が流れた。
彼は「どうして機嫌が悪いのか」と戸惑い、彼女は「どうしてわかってくれないのか」と沈黙した。


「言わなくても伝わってほしい」という彼女の願いと、「言われなければわからない」という彼の現実は、すれ違ったまま交差しなかった。

このような出来事は、婚活でなくても、恋愛関係において決して珍しいものではない。
むしろ、親密になるほどに、私たちは“言葉ではない愛し方”を相手に期待してしまう。


「彼って、察しが悪いんです」
「どうして言わなくても気づいてくれないんだろう?」
「普通、これくらい言わなくてもわかるでしょ?」


こうした声を聞くたびに思うのは、私たちは“察してほしい”という願いに、どれほど繊細な自尊心と、抑え込まれた欲求を預けているか、ということだ。

察してくれたら安心する。 察してくれたら愛されている気がする。
でも、察してもらえないとき、私たちは簡単に「大切にされていない」と感じてしまう。


しかし、ここで立ち止まって問い直してみたい。
「察してくれない」という苛立ちの裏にあるのは、本当に相手への失望だろうか?
それとも、「自分のニーズをうまく言葉にできない」もどかしさではないか?


私たちは、自分の欲しい言葉を自分でも怖れている。
「こんなことを言ったら、重いと思われるかもしれない」
「察してくれなかった時に傷つくくらいなら、最初から言わない方がいい」
──そんな防衛の中で、言葉をしまい込み、期待だけを膨らませていく。


愛されたい気持ちは、どこからくるのか?


私たちは、どこまで“自分の望み”を明確にできているだろう?

「なんとなく寂しい」「もっと大事にされたい」
──その感情はたしかに本物だ。


それがどのような言葉で、どのような行動で満たされたいのか、具体的に言語化できている人は少ない。

そして、その“曖昧なままの望み”を相手に察してもらおうとすることは、実はかなり高度な要求でもある。

なぜなら、あなた自身が言語化できていないことを、他者に読み取ってもらうことを求めているのだから。


言葉にすることは、弱さではない


私たちは時に、「言わなくても察してくれる関係が理想」と思い込んでしまう。

でも、本当に親密な関係とは、「なんでも言葉にできる関係」ではないだろうか。

「私はいま不安なんだ」「もっと寄り添ってほしい」「そう言われると傷つく」

──そうした感情を丁寧に手渡すことで、ふたりの関係は初めて“調整可能なもの”になっていく。


言葉にすることは、甘えではない。 依存でもない。 それは、信頼のかたちだ。

「察してよ」と願うことは、相手に“自分の心の深層”を透視させようとするようなものだ。


信頼とは“見抜かれること”ではなく、“明かしていくこと”の連続である。


相手に自分のニーズや不安を手渡すことは、恥でも敗北でもなく、愛の共同作業の第一歩なのだ。

言葉は、たしかに不完全だ。

それでも言葉を交わすことではじめて、ふたりの未来に“輪郭”が生まれる。


察する力より、語る力。 沈黙の理解より、小さな言葉の積み重ね。

“察してほしい”という魔法の願いを手放すとき、私たちははじめて、愛を現実の対話として生き始めることができる。


察してもらうことを期待するのではなく、望みを手渡す勇気を育てていく。
それが、成熟した愛し方への、愛のはじまりだ。



口論し合う男女

婚活心理学Lesson4|“価値観が合う人”なんていない


心理カウンセリングの場で、もっともよく聞くフレーズのひとつが「価値観が合う人がいいんです」だ。

ここでひとつ冷静に立ち止まってみてほしい。

そもそも、価値観が“完全に合う”ということが、本当に可能なのだろうか?


それは、ふたつの異なる人生、異なる記憶、異なる家族、異なる痛みと喜びを持つ人間が──出会って間もない段階で「ぴったり一致する」ことなど、どこまで現実的なのだろう。

むしろ、それは“似たもの同士であること”への幻想であり、すり合わせや対話といったプロセスを省略したい気持ちの裏返しではないか。


「価値観が合わない」ことは、不幸なのか?


結婚後のある夫婦の例を見てみよう。

夫は「人生は冒険だ」と考えているタイプで、転職や移住に対してより前向き。
一方、妻は「安定こそが幸福」と信じており、変化を怖れる傾向がより強い。


結婚当初、ふたりは何度も衝突した。

「どうしてそんなに落ち着きがないの?」「どうしてそんなに臆病なの?」と、価値観の違いを非難しあった。

数年が経つにつれて、ふたりは共感しあえる愛し方の真髄を学んだ。


「違う価値観に触れることは、自分の枠を広げてくれる」という発見と喜びを。それこそがお互いが結婚に望んでいたことだと。


夫は妻の慎重さから、責任ある選択の重要性を学び、 妻は夫の柔軟さから、環境に身を任せる勇気を育んだ。

最初から価値観が合っていたわけではない。

合わないからこそ、ふたりは“互いに学び合う関係”になっていったのだ。


価値観の違いは、ときに自分自身を映し出す鏡になる。

自分にとって何が大切なのか。 なぜ相手の価値観に反発を覚えるのか。

その違和感こそが、自己理解への扉となり、私たちを深い対話へと誘ってくれる。


あなたはどうだろう? 「合わない」と決めてしまったその価値観に、もう少しだけ耳を澄ませてみたことがあるだろうか?

それは、あなたの中に眠っている別の可能性を照らすヒントかもしれない。


愛し方が“合うかどうか”ではなく、“育てていけるか”


婚活市場においては、「条件が合うかどうか」が強調されがちだ。

学歴、年収、趣味、生活スタイル、食生活──無数の項目が“一致度”の尺度として並べられる。


けれど、本当に大切なのは、“条件が合っているか”よりも、そこからどう関係を築けるかということだ。

違う意見に出会ったとき、 不一致を感じたとき、 そこからどう対話を始められるか。 どう、折り合いをつけていけるか。


“価値観が合うかどうか”という静的な問いより、 “一緒の価値観をどう育てていけるか”という動的な姿勢のほうが、 ずっと深い絆を育む土台になる。

相手の価値観が自分と違うと感じたとき、それを「合わない」と切り捨てるのではなく、 「なぜそう思うのか」を丁寧に聴く力。

「自分はこう感じる」を、相手を責めずに伝える力。


それは、いわば“関係をつくる力”だ。この力は、いかなるマッチングのアルゴリズムでも測定できない。

夫婦として生きていくうえで、もっとも必要とされる知性であり、技術であり、愛し方の成熟形なのだ。


「わたしは、誰と“どんな価値観を育てていきたい”と思えているだろうか?」

──そんな問いのほうが、ずっと本質に近い気がする。


価値観とは、最初から「合っている」ものではない


そもそも、価値観とは生まれつきのものではない。 育った環境、出会った人、経験した痛み、喜び──それらが複雑に絡まり合って形づくられるものだ。


つまり、私たち自身の価値観も、固定された“仕様”ではなく、変化し続ける“風景”なのだ。

そして、変化し続ける風景を前にして、人はふたりで地図を描いていくしかない。


ある夫婦は、子どもが生まれたことをきっかけに、生活のリズムも、優先順位も、お金の使い方さえ大きく変わっていった。

「価値観が変わった」というより、「価値観を一緒に更新していった」のだ。

──それが可能だったのは、意見が食い違ったときも“対話する姿勢”を諦めなかったから。


合っていないことを恐れず、 違うということに萎縮せず、“ふたりの価値観”を、これから一緒に育てていく勇気。

それが、結婚という冒険の、本質なのではないだろうか。



夕日を浴び渚を歩く男女のシルエット

婚活心理学Lesson5|“理想の人”より、一緒に“成長しあえる人”


理想の人に出会えたら、恋に落ちる。恋に落ちたら、自然と結婚できる

──そう信じていたのは、いつまでだったろう。

現実には、「理想の人に出会えない」という悩みが、婚活の現場で最も多く聞かれる。


では、“理想”とはなんだろう?

「自分のことをよく理解してくれて」「気が利いていて」「お金の価値観が合って」「会話のテンポが心地よくて」「容姿も、できれば好みで」……。

まるで、“自分の希望をかなえてくれる魔法の存在”のようなものだ。


でも、ここで立ち止まって考えてみたい。

果たして、それはひとりの“人間”なのだろうか? それとも、自分専用に最適化された”レプリカント”なのだろうか?

──よくSF映画に登場するように、自分の感情や欲求を的確に読み取り、決して裏切らず、いつも優しく、癒してくれて、都合よく振る舞ってくれる。

いわば愛し方が、“人間そっくりの模造品”のような存在を、私たちは求めてしまってはいないだろうか。


「わたしの理想」に、誰かをあてはめるということ


心理カウンセリングの場で、ある30代の女性が、こう語っていた。

「出会いの数は少なくないんです。アプリも結婚相談所も両方使って、これまで30人以上の方とお会いしました。でも、なぜかいつも最後に“うーん……”ってなってしまう。優しくていい人が多いんだけど、『一緒に人生を歩むイメージが湧かない』んです」


その彼女が、ある男性と出会い、最初はあまり盛り上がらなかったものの、数回会ううちに「居心地がいいかもしれない」と感じるようになった。

だが、彼女はその関係を続けることに迷い始めた。

「相手が、私を理想だと思ってくれているのはわかる。でも、私は“理想”だとは思えていないんです」


そのとき彼女は、はっと気づいたという。

「私が無意識に求め続けていたのは、“私を理想のように扱ってくれる人”だったのかもしれない」

──それは果たして、“誰かを愛したい”という成熟した愛し方だったのだろうかと。


「わたしの理想」に誰かをはめ込もうとすること。 それはときに、「あなたはこうあるべき」という“期待”の押しつけになっていく。

婚活の入り口では、その理想が機能する。 関係が深まるほど、その理想は窮屈な檻になっていく。

期待に応えられなかったとき、相手は失望し、失格の烙印を押される。


だが、そもそもその“理想”は、誰のどんな人生によって育まれたのだろう?

──“理想”という名のフィルターを通して見ていたのは、相手ではなく、自分自身の願望だったのではないだろうか?


“理想の人”という幻想から降りる勇気


私たちは、理想に向かって努力することを美徳とする文化の中で育ってきた。 だからこそ、「理想を下げる」と聞くと、妥協や敗北のように感じてしまう。

だが本当は、“理想を育てていける関係”のほうが、よほどクリエイティブで、成熟した愛し方なのではないか?

誰かが最初から完璧である必要はない。

むしろ、“ふたりで育てていける関係”こそが、長い人生を共にするに値する土台になる。


たとえばある男性は、最初は女性にリードされてばかりだった。

だが数ヶ月後には、自分の考えをしっかり伝えるようになっていた。


また別のカップルでは、交際初期に女性が「彼は何もしてくれない」と不満を抱いていた。その後、ふたりで料理をする時間が増え、彼が自発的にレシピを調べて買い物をするようになったという。

──その変化のなかには、育て合う関係があった。


相手を変えようとするのではない。 自分も相手も、少しずつ成長していくそのプロセスにこそ、愛の核心がある。

“育て合う”愛し方とは、ゆっくりと、呼吸を合わせていくこと。

変化を恐れず、今ここにいる相手とともに、「まだ見ぬ自分」へと踏み出すこと。


ある30代の女性は、交際1年後に成婚したとき、こう語っていた。

「こんなふうに変われるなんて、自分でも驚いています」

──最初はお互いに遠慮していたふたりが、少しずつ「自分のままでいていい」と思えるようになったとき、はじめてふたりの時間が動き出した。


“理想”を一緒に育てるという視点から始めれば、愛し方はもっと自由に、もっと深く、そしてもっと優しくなれるはずだ。

それが愛する技術、愛を始める技術というものだ。



2人でハートマークを作る男女のアップ

婚活心理学Lesson6|トキメキより、安らぎを信じてみる


「一緒にいてドキドキしないんです。だから、恋愛感情じゃないのかなって──」

心理カウンセリングの場では、婚活をはじめたばかりの女性から、こんな声をよく聞く。


「恋愛とは、胸が高鳴るもの」「好きになるって、心が騒ぐもの」。

そう教わってきた私たちは、“トキメキ”の不在を、愛の不在と捉えてしまう。


そこで一度、立ち止まって問いかけてみたい。本当に、それは「愛じゃない」と言い切れるのだろうか?

ある女性は言う。「初めて“好きになれない相手”との交際が続いてしまったとき、私は、裏切られたような気がした

──それまで信じてきた恋の感覚が、何も蘇ってこなかったから」


驚くことに、彼女はその同じ相手と、4ヶ月後に穏やかな婚約を交わしている。

たとえば、一緒にいて落ち着ける。無言が気まずくない。相手にペースを合わせようとしなくても自然に呼吸が合う──。


そんな安らぎの感覚は、ときに“恋愛感情”の欠如と誤解される。

むしろその静けさのなかにこそ、「愛の種」は既にまかれているのではないだろうか。


恋愛ドラマが教えてくれなかったこと


私たちは長い間、“トキメキ=愛”という物語に育てられてきた。

映画や漫画、小説のなかで描かれる恋は、たいてい予測不能な出会いと、激しい感情の揺れを伴う。

偶然の再会、急接近、嫉妬、すれ違い、涙──それらが愛の証として描かれ、“日常”よりも“事件”が優先されてきた。


しかし、現実の結婚生活は“事件”よりも“継続”でできている。

毎日を一緒に過ごし、洗濯物を乾燥させ、冷蔵庫の中身を気にしながら、週末の予定を相談し、眠る前に今日の愚痴をこぼす。

それは物語にはならない“退屈な時間”かもしれない。


誰かと一緒にその退屈を共有できること──それこそが、人生の本当の贅沢なのかもしれない。

だからこそ、ドラマのような刺激に心を揺さぶられながらも、実は「平凡」を心から欲している自分にも気づいてほしい。


“トキメキ至上主義”がもたらすすれ違い


「いい人だと思うけど、ドキドキしないから違う気がする」

──そうやって手放してきた出会いの中に、実は“育つ愛”の芽があったとしたら?


ある女性は、マッチングアプリで出会った男性と初めて会ったとき、どこかよそよそしさを感じていた。無理に話題を振ったり、沈黙を埋めようとする自分がいたという。


ところが、3度目のデートでふと気づいた。「この人となら、よけいな努力をしなくても、穏やかに暮らせる気がした」と、彼女は振り返る。

「話さなくても気まずくないし、自分を飾らずにいられる感じがして……むしろ、その静けさが心地よくて。不思議だったんです」

──“無理して頑張らなくていい”という愛し方の感覚。それは、最も深いレベルの親密さの始まりかもしれない。


一方で、最初は激しく惹かれ合った関係が、数ヶ月後には音信不通になっていたという事例も無数にある。

強いトキメキには、往々にして“理想の投影”が含まれている。

そして理想の投影がはがれ落ちたとき、人は「冷めた」「気持ちがわからなくなった」と感じる。


たとえば、誰かが“私のすべてを理解してくれる存在”であることを期待してしまう瞬間がある。

まるで心を読み取るかのように振る舞ってくれる“理想の他者”──それは、よくSF映画に登場する“感情を翻訳する人工知能”のようだ。


現実のパートナーシップには、微妙な違和や言葉のすれ違い、そして“互いに学び合うプロセス”が必ずついてまわる。

──“トキメキ”とは、あくまで恋愛感情の入り口にすぎない。

むしろ“安らぎ”を感じられる関係こそ、長い結婚生活に必要な基盤になる。


あなたはどちらの愛し方を選びたいだろう? 火花のような一瞬の輝きか、それとも薪をくべながら育てていく温もりか。


安らぎのなかに育つもの


トキメキは一瞬の火花だが、安らぎは薪を重ねていくようなもの。緩やかに、しかし確実に熱を宿していく。

・会話のリズムが合ってきたとき。

・相手の好き嫌いを自然に覚えていたとき。

・ふとした瞬間に、その人の顔が浮かんだとき。


──それは“燃えるような恋”ではないかもしれない。

 “続いていく関係”の芽は、そうした日々のなかにこそ潜んでいる。


ある女性は語る。父の死に直面したとき、そばにいてくれた交際相手がいた。彼は多くを語らなかった。ただ、黙って隣にいてくれた。

「そのとき初めて、自分でも驚くほど彼を求めていることに気づいたんです」


燃えるような愛──それは出会いの瞬間にではなく、人生の苦さのなかでふと灯ることもある。

それでも誰にも言わない。言葉にしてしまえば軽くなる気がするから。

ただ、そっとその人の顔を見る。そして今日もまた、結婚生活という日常が続いていく。


たとえばある男性は、交際をはじめたばかりの彼女にこう言われたという。

「あなたといると、ホッとする。自分自身でいられる気がする」その言葉は彼にとって、トキメキの言葉以上に心に残った。


「好き」という感情が、いつしか「信頼」と「居場所」に育っていくこと──それは、確かな時間の積み重ねによってしか得られない。


もし今、あなたが「ドキドキしないから違うかも」とその出会いを終わらせようとしているのだとしたら、ほんの少しだけ、立ち止まってみてほしい。

安らぎは、“物足りなさ”ではない。

それは、ようやくたどり着けた心の居場所かもしれないのだから。



結婚式で彼の背中に顔を寄せる物憂げな女性

婚活心理学Lesson7|結婚とは、“人生の記憶”を引き受けること


ある日の心理カウンセリングの場で、こんなことを話してくれた女性がいた。

「結婚って、ただ“この先も一緒にいたい”って思うだけじゃないんですね。相手の“これまで”も引き受けることなんだって、結婚してから気づきました」


──誰かの「これまで」には、喜びもあれば、傷もある。

忘れたくても消えない過去、語られずに沈黙していた痛み、未解決のまま折り合いをつけた記憶。

たとえば、いびつな初体験の記憶。愛されなかった幼少期。キャリアに挫折した30代。


誰にだって、ひとつやふたつ、「うまく言葉にできない過去」がある。

それらを「無かったこと」にせず、でも「正解を出すこと」でもなく、ただそっと隣にいながら、相手の過去とともに“生きていく”覚悟。

それが、成熟した愛し方なのかもしれない。


思い出は「整理」ではなく「共在」


恋愛のときは、現在と未来にばかり焦点が当たる。「これからどうなるの?」「この先も一緒にいたい?」と。

だが、結婚には“過去”がついてくる。

たとえば、前の恋人の話、家族との確執、失った夢の数々。


話せばよいというものではない。「話せないこと」があるという事実そのものに、触れていけるかどうかが、関係の深度を決める。


ある男性は、妻がたびたび実家の話を避けることに最初は戸惑っていた。だが、ある夜、妻がぽつりと「私、あの家でずっと息が詰まってたんだ」と呟いたとき、ようやく“何も聞かないという優しさ”があるのだと知ったという。

結婚とは、過去を「整理」するための制度ではない。

相手の人生の断片と、ともに生きていく「共生」の決意である。


記憶を抱えて、生きていく


誰もが、人生のどこかでつまずいている。言葉にできない傷を抱えながらも、前を向こうとしている。

その“誰にも言えなかった物語”を、少しずつ自己開示して、差し出しあえる関係。それは、信頼とともにしか築かれない。


たとえば──結婚前、ある女性は婚約者にだけ、亡くなった弟の話をした。普段は人に語ることのない、痛みと罪悪感を含んだ記憶だった。

彼はただ、「そうだったんだ」とだけ言って、手を握った。

「そのとき、私は“もう独りじゃない”って思えたんです」

彼の沈黙の愛し方は、理解を示すための“最も雄弁な静寂からくる声”だった。 それは、彼女の痛みの輪郭に、そっと寄り添うような時間だった。


──人生とは、過去の断片でできている。

誰かの「今」を愛するとは、その人の「過去」にも居場所を与えること。

思い出は、記憶のなかにあるだけでは、終わらない。 誰かとともに生きることで、記憶は“物語”へと変わっていく。

私たちは、過去の痛みすらも抱きしめながら、少しずつ“これから”を編み直していけるのかもしれない。


──結婚とは、「これから一緒に生きていく」という未来形であると同時に、「あなたの人生を、まるごと引き受ける」という過去形の承認でもある。

人生とは、編集できないノートだ。

どんなに消したくても、インクの跡がにじんで残ってしまう──それが、私たちの人生。

そのノートの余白に、誰かの別な手がそっと添えられること──それこそが、結婚の本質なのではないだろうか。



結婚式で彼を優しくハグする若い女性

婚活心理学Lesson終章|“ずっと愛される人”より、“ずっと愛せる人”になる



あるクライアントがぽつりと、私にこう語った── 「愛された気がしなかった。」「元彼にそう言われたことがあるんです。」

その一言のあとの、彼女の沈黙の重さが、今も忘れられない。

「 たしかに、自分は愛されることばかりを求めていたのかもしれない」──彼女は、そう呟いた。


──このような恋の終わりの苦い経験は、読者のあなたにも思い当たる節があるかもしれない。

「あなたは、私を愛してくれなかった」──この言葉を、突きつけられたとしたら、そのとき、私たちは何を感じ、どう応えることができただろうか。


愛されること。たしかに、それは心を潤す。自分の価値を確かめられるような、幸福感がある。でも、その感覚だけを追い求めていると、いつか息切れしてしまう。


なぜなら、「ずっと愛される」ことは、幻想だからだ。

誰かにとって“特別な存在”であることを保証してくれる魔法のような愛し方──そんなものは、実はどこにもない。


では、何を信じて、共に生きていけばいいのだろう?

それは、「ずっと愛される人になる」ことではなく、「ずっと愛せる人になる」ことだ。


愛は、持続する意志である


結婚とは、選び続けることだ。 一度「好き」になったからといって、その気持ちが自動的に持続するわけではない。日々の摩耗のなかで、選び直し続ける行為そのものが、愛なのだ。


──今日は、相手の悪いところしか見えなかった。
──イライラして、つい冷たい言い方をしてしまった。
──ふたりの未来が、少しだけ不安になった。


昨夜は、会話もぎこちなかった。 それでも、朝に淹れたコーヒーを、いつも通り相手に差し出す愛し方もある。

──その一杯に、もう一度愛してみようという意志を込められるかどうか。

既婚者に聞いてみるといい。そんな日は、たくさんある。 だからこそ、「もう一度、愛してみよう」と思えるかどうか。


愛し方とは、感情であると同時に、意志である。 「好き」という感覚が薄れてしまっても、「この人を、今日も大切にしよう」と選び続けることもできる。

それが、成熟した愛し方のかたちではないだろうか。


自分の“愛する力”を、信じてみる


結婚生活では、相手に失望する瞬間が必ずある。そのときこそ問われるのは、「相手にどれだけ愛されているか」ではない。

むしろ、「それでも私は、どれだけ愛せるか」なのだ。


もちろん、犠牲や献身を強いる話ではない。

誰かを愛するという行為は、自分のなかに眠る“成熟した人間としての可能性”を信じる営みでもある。

たとえば、相手がつらいとき、自分が優しくあれるか。 相手が弱っているとき、自分の余裕を差し出せるか。

本当に愛せるかどうかは、相手が困難な時期を迎えたときにこそ、試される。


頼られることに、戸惑いながらも、自分の中に眠っていた強さに出会う。

それは愛し方の、優しさのふりをした支配でもなければ、自己犠牲でもない。

「わたしにできることが、まだある」──そんな手応えの中にある、生きた愛だ。


誰かを愛することで、自分という存在の“豊かさ”を知る。

だからこそ、愛は「ギフト」であると同時に、「自己実現の技術(Art)」なのだ。

それは、楽器を奏でるように、少しずつ響きを深めていく愛し方。
指先で探るように、呼吸を合わせながら、ふたりだけの音楽を紡いでいく。


──いつかきっと、誰かを深く愛せた日々が、あなた自身を救ってくれる。

──愛された記憶より、愛せた記憶のほうが、人を強くする、と私は信じている。

この論考で繰り返し語ってきたのは、そういう愛し方、愛の姿だった。


「愛されたい」と願うあなたへ


最後に、ひとつだけ。

もし今、あなたが「愛されたい」と強く願っているなら、それは自然なことだ。誰だって、必要とされたいし、大事にされたい。

誓っていう。その願いを叶える一番の近道は──「愛されることを待つ」ことではなく、「誰かを、愛せる人になる」ことだ。


誰かの弱さに優しくなれる。誰かの小さな変化を見逃さない。
誰かの人生に、責任を持って関われる。

そんなあなたは、きっと誰かにとっての、“ずっと愛したくなる人”になる。


繰り返す。愛とは、技術(Art)だ。
そしてそれは、私たちが学び取っていける──この不確かな時代に、今日より少しだけ優しく、少しだけ強くなれる、そんな生き方の源泉なのだ。




(婚活メンター・ひろ)




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