ヒロの婚活心理学

結婚に踏み出せないのは、親のせい? 婚活心理学Vol.23──“親ガチャ”時代の婚活と希望の回復

頭を抱えて悩む若い男性

「親ガチャ」と呼ばれる家庭環境の不平等が、恋愛や結婚だけでなく、婚活への一歩をためらわせる。勇気を出して踏み出しても、次々に難題が降りかかり、成婚まで辿り着けない!──そんな、(特に親ガチャに象徴される)結婚不安を、トラウマ理論・文化資本・発達心理学の視点から深く読み解く論考です。「なぜ人を好きになれないのか?」「なぜ親密な関係を築けないのか?」を根本から問い直し、安心と信頼を育て直すための手がかりを探ります。


大人に手を引かれる子供の手のアップ

婚活心理学Lesson序|なぜ「親のこと」が、結婚への一歩を止めるのか?



「自分は、結婚に向いていない気がする」


「好きな人ができないし、家庭を持つなんて想像できない」

「誰かと生きていくことに、自信がない」


SNSだけでなく、婚活や恋愛の現場でも、こうした言葉を口にする若い世代が増えている。

それは単なる“恋愛離れ”ではない。そこにはもっと深く、静かで、根深い不安の深淵が口を開けている。

そして、その不安の正体の名を──彼らは、こう名づけた。


「親ガチャ」


まるで、人生が“運”で決まるかのようなこの言葉には、笑いに似たあきらめと、言葉にできない苛立ちが入り混じっている。

「努力では超えられない何かがある」
「生まれつきの格差が、すでに人生の方向性と選択を決めている」

そんな感覚が、SNSや日常会話のなかで共有されている。

“親ガチャ”という言葉の本質は、家庭環境が恋愛や結婚という選択にまで影響を及ぼしていることへの直感的な気づきだ。

それは、経済的な格差だけではない。


たとえば、後で触れるフランスの社会学者ピエール・ブルデューが指摘したように、「文化資本」の不平等──つまり、親からどんな言葉を与えられ、どんな価値観に触れ、どんな学び方を教えられたかという経験の差異──は、学力や将来の職業にとどまらず、
「愛し方」や「安心のつくり方」にまで影響を及ぼす


たとえ暴力やネグレクトのような明確な“トラウマ”がなかったとしても、
・過干渉で、情緒不安定な親の支配の中で育った
・親の期待を背負って「いい子」を演じ続けてきた
・逆に、まったく無関心な親に放任されてきた


──こうした“愛され方”の文脈が、大人になってからの人間関係に影を落とすことは珍しくない。


本論考で取り上げるのは、そうした若者たち──とくに、

「結婚したい気持ちはあるのに、いざとなると踏み出せない」
「誰かを好きになることすら難しい」
と感じている人々である。


「トラウマ心理学」


この論考では、「親ガチャ」という語に込められた痛みと諦めを、単なる言葉遊びではなく、社会構造・家族環境・神経系の問題として立体的に読み解いていく。


とくに、トラウマ研究の第一人者ベッセル・ヴァン・デア・コークの理論を参照しながら、
「感情が動かない」「好きになれない」「信じられない」という現象の背景にある身体的・神経的な“記憶”を掘り下げていく予定だ。


この論考の目的は、誰かを責めることではない。

「親のせいにするなんて甘えだ」と言う前に、まずは「何が起きていたのか」を知ること。

そして、「自分の物語(人生脚本)を、自分の手に取り戻す」ための視点と実践を探ること。

結婚とは、“愛される資格”を証明する行為ではない。

むしろ、他者と共に「安心をつくっていく技術」である。

だとすれば、そこに必要なのは、恋愛テクニックでも、婚活マナーでもない。
「安心できる感情」と「選ぶ力」を、もう一度自分のなかに育て直すことなのだ。

この物語は、親ガチャに象徴される“親の物語”を手放し、“自分の人生”へと歩き出すための静かなレッスンである。


求愛を拒む女性

婚活心理学Lesson1|「誰かと生きる」のが怖い?──“安心”の感覚が育たなかった人たちの婚活



「人を好きになるって、どういう感覚ですか?」


「誰かに頼ることが、むしろ怖いです」

「“一緒に暮らす”って、苦しくならないんですか?」


結婚を望んで婚活しているはずなのに、なぜか前に進めない。

プロフィールを書こうとすると手が止まり、デートに行ってもどこか心ここにあらず。

相手が悪いわけじゃない。自分が嫌いなわけでもない。

でも、親密感が湧かない。心が動かない。近づきすぎると逃げたくなる。離れるとさびしくなる。


「新・婚活難民」


──この“矛盾”を抱えたまま、誰にも相談できずに婚活を続けている人が、いま急増している。

それは、恋愛や結婚を遠ざける“個人の性格の問題”ではない。

そこには、
「安心の感覚が育たなかった」という環境的な背景がある。

私たちは、親との関係を通して、“人とつながるとはどういうことか”を学ぶ。

泣いたときに誰かが来てくれたか?

怖いときに、傍にいてくれる人がいたか?
失敗しても、安心して泣ける場所があったか?


こうした小さな経験の積み重ねが、「人を信じても大丈夫だ」「私はここにいていい」という身体レベルの安心感(セーフティ)を育てていく。


だがもし、親がいつも怒っていたり、忙しすぎてこちらを見ていなかったり、逆に過剰に干渉してきたりしたら──
子どもは、“誰かと関わること”を「怖いもの」「不安なもの」として身体に刻み込む。

これが、トラウマ研究の観点から見る「愛着の傷つき(attachment injury)」だ。


「愛着の傷つき」


それは、暴力や虐待のような分かりやすい出来事だけで起きるわけではない。
むしろ、「泣いても誰も来てくれなかった」「私が我慢すればうまくいくと思ってきた」──そんな“静かな孤独”のなかで育った人ほど、無自覚なまま「誰かといること」に緊張し、「安心」がうまく感じられなくなる


つまり、恋愛や結婚の場面で「なぜか心が動かない」「相手に近づけない」と感じるとき、それは“今の相手”の問題ではなく、
過去の関係において学習してしまった「警戒モード」が無意識に作動していることが多いのだ。


たとえば、以下のような婚活現場での声がある:


「仮交際までは進めても、“この人と先に進む”って決断ができないんです。
いつもどこか冷めてしまって、“本当に好きかどうかわからない”って思ってしまう。でも、たぶんそれって、好きとか嫌いじゃなくて、“誰かと深く関わること”そのものが怖いんです。」


「相手から好意をもたれると、逃げたくなるんです。自分にはそんな価値があるように思えないし、”なにか裏があるんじゃないかって”疑う。運良く進んでも“この人もそのうち離れていくんじゃないか”って、勝手に未来を決めつけてしまう自分がいます。」


こうした心の動きは、親ガチャにとっての「自分を守ろう」とするごく自然な反応だ。

その反応を恥じる必要はない。

むしろ、それが“あなたの身体と心が、これまでどうやって生き延びてきたか”の証人であることを認めてあげてほしい。


「防衛パターンが結婚のブレーキに」


問題は、その防衛のパターンが、今の人生にとって本当に必要かどうかだ。

婚活とは、「条件のマッチング」ではなく、「信頼の回復」でもある。

そして、その回復は、思考や意志の力だけでは起きない。

身体レベルで、「誰かと一緒にいても大丈夫だ」「この人の前なら、自分を出してもいい」と思える経験が必要なのだ。


それは、一朝一夕で起きるものではない。

けれど、その第一歩は、“安心できない自分”を否定せずに受け入れることから始まる。


「怖い」「わからない」「どうしていいかわからない」
──そう感じている自分に、まず“安全な場所”を与えること。


この章では、トラウマや親ガチャからのサバイバーという、ただその事実だけを、そっと心に留め置いておいてほしい。


誰かと生きることが怖いのは、あなたが弱いからではない。

それだけ、必死に生きてきたということの証なのだから。



床に座って必死で勉強に励む男の子

婚活心理学Lesson2|「努力すれば報われる」は死語──“親ガチャ”と格差再生産の現実



「”努力すれば報われる”は呪いの言葉」


かつて「努力すれば報われる」は、特に戦後日本社会の希望の言葉だった。だが今、それはむしろ“報われなかった者”を断罪する呪いとなっている。


たとえば、親が中卒で、家には本も新聞もない家庭。学校から帰ると、下の子の面倒を見ながら夕飯を作る日々。
塾どころか、進学という選択肢すら想像の外にあった。


一方、都心のタワーマンションで暮らし、英語やピアノ、進路指導の整った塾に自然と通う同級生がいる。
親が大学やキャリアについて豊富な知識を持ち、自ら情報を取りに行く。子どもはそれを吸収しながら、まるで“当たり前のように”進学していく。


この違いを、単なる「金銭的格差」だけでは説明できない。

ここには、前述の社会学者ピエール・ブルデューが指摘した「文化資本」の差がある。


「文化資本」


文化資本とは、親から子へと引き継がれる無意識の教育的習慣や言語能力、価値観、知的なコード、さらには時間の使い方や話し方までを含む広範なリソースのことだ。

家の本棚
にどんな本があるか、家族でどんな会話をするか、社交時のTPO、芸術や教養への接し方、選択肢の広さ──こうしたものが、子どもにとっての“世界の見え方”を根底から規定する。


そしてその違いは、
将来の職業や収入だけでなく、「恋愛や結婚に対する構え」にまで及ぶ。

「恋愛って、どうやって始めるの?」
「結婚って、選ぶものなの? 選ばれるものなの?」
「家庭を持っても、うまくやれる気がしない」──


こうした戸惑いや不安は、「自己肯定感が低いから」「性格に難があるから」と片づけられることが多い。


だが実際は、
「愛する」「選ぶ」「信じる」という行為の前提となる文化資本=対人関係における感覚のインストールが不十分だった」だけ、というケースが非常に多いのだ。

つまり、恋愛や結婚、婚活と文化資本とは密接に関係している現実がある。


「努力すれば報われる」は、スタートラインが同じ者同士のあいだでしか成立しない。

だが“親ガチャ”という言葉が語るのは、そのスタート地点がすでに「天と地ほどに違っていた」ことへの、静かな告発である。


特に結婚や、婚活の場面では、その格差がより露骨に表出する。

アプリのプロフィール欄には、年収、学歴、職種、身長、家族構成など、いわば“文化資本の見える化”が進行している。

そこに表示されるのは、恋愛感情の可能性ではなく、社会的記号としての「出自のステータス」だ。

誰もが、無意識のうちに「この人なら大丈夫そう」「この人はちょっと不安」と、過去の経験とすり合わせて、目に見える条件でふるいをかける。

そして、文化資本が乏しい側に生まれ育った人々は、その無言の選別とプレッシャーに晒され続けることになる。


「結婚が許させている気がしない」


「そもそも、結婚という制度が、自分に許されている気がしない」
「ちゃんとした家庭を持てる人間は、最初から育ちが違う」──そう感じてしまうのは、甘えでも卑屈でもない。

それは、
構造的に不利な地点から「婚活市場」に立たされているという自覚であり、むしろ健全な認識とすら言えるかもしれない。

しかし、ここで問い直したいのは、ただ「格差社会は悪だ」と嘆くことではない。

むしろ、
この“与えられなかったもの”を、どうすれば自分の力で取り戻せるか?
そして、その作業は、“努力”や“レクチャー”の名のもとに行うべきなのか?


答えは、おそらく、
ちがう。

文化資本は、“後天的に身につけ直す”ことができる。

その第一歩は、自分が「なにを与えられてこなかったのか」「なにが欠けていたのか」を、冷静に、誠実に見つめ直すことだ。

そしてそれを、責めるでも、恨むでもなく、“語る”ことによって、関係性の中で修復しなおすことが可能なのだ。


自分が選ばなかった傷──たとえば、暴力的な親のもとに生まれたこと、高等教育や進路の選択肢が与えられなかったこと、愛し方や安心の築き方を学ぶ機会がなかったこと。
そうした、自分の意思や責任とは無関係に受けた環境的・構造的な不利。

自分ではどうしようもなかった不平等。

その痛みを見つめることは、過去の物語を書き換え、未来を選ぶ準備でもある。

親ガチャという「親の物語」に人生を囚われたままにせず、ここから、「自分の言葉」で物語(人生脚本)を書き直していくために。



顔を隠して思い悩む男の子

婚活心理学Lesson3|身体は記憶している──トラウマ理論が教える「動けなさ」の正体



「結婚したい気持ちはあるのに、動けない」

「婚活アプリを開いて、いざ誰かを選ぼうとすると、息が詰まって画面を閉じてしまう」 
「LINEの返信を打とうとするたびに、“この人も結局傷つけるか、自分が傷つくかだ”と手が止まる」 
「デートの直前に腹痛が出て、理由をつけてドタキャンしてしまう──そのくせ、相手が離れていくとひどく落ち込む」


親ガチャの人は、こうした“動けなさ”に襲われる人は少なくない。
だが、ほとんどの場合、その状態は「自分の意志が弱いから」「やる気がないから」と、自責の方向で理解されてしまう。


「トラウマは脳ではなく身体に宿る」


ここで紹介したいのが、精神科医ベッセル・ヴァン・デア・コークのトラウマ理論だ。
彼の代表作『The Body Keeps the Score』(邦訳:『身体はトラウマを記録する』)は、「トラウマは脳ではなく身体に宿る」という革命的な視点を打ち出した。


彼が臨床と神経科学の両面から導いたのは、人が深いストレスや感情の傷を受けたとき、それが思い出として整理されるのではなく、”処理されないまま神経系に留まり続ける”という事実である。


つまり、昔、誰かに強く否定された。怒鳴られた。無視された。
過剰に期待されすぎた──そうした「関係の中での恐怖や羞恥や緊張」が、
記憶ではなく“反応パターン”として身体に残るというのだ。


「フリーズ(凍りつき)」


そのパターンのひとつが、「フリーズ(凍りつき)」反応である。

恋愛や婚活の現場で、
・相手からLINEが届いた瞬間に、なぜか言葉が出ずに既読スルーしてしまう
・初デートの直前、急に胃が痛くなり、無理に理由をつけてキャンセルしてしまう
・“気持ちを伝えなきゃ”と思えば思うほど、頭の中が真っ白になり、時間ばかりが過ぎていく
・相手が優しくしてくれても、どこか心が反応しない──うれしいのか怖いのかさえわからない

──といった現象が起こるとき、これは「フリーズ」の典型だ。


つまり、過去に「安心できない」「信じたら裏切られた」という関係を経験した人ほど、身体は無意識に“危険”を察知し、
動かないことで自分を守ろうとする。


その反応は、もはや意志では止められない。

「頑張ろう」と思った瞬間に、すでに身体は防御態勢に入ってしまっている。

ここで重要なのは、この反応が「弱さ」や「回避癖」ではないということだ。

それは、過去の自分が、あのとき生き延びるために身につけた“必死の防衛”だったのだ。


だが問題は、その防衛が、“今のあなた”をも縛っているということ。


たとえば、こんな声がある:

「婚活で出会う人に対して、最初から“どうせこの人ともダメだろう”って冷めた目で見てしまうんです。
でも、本当は傷つくのが怖くて、自分の期待に触れないようにしてるだけかもしれません。」


「告白されても、なにも感じないんです。ときめきもないし、嬉しくもない。ただ“なんか申し訳ないな”っていう罪悪感しか湧かない。感情が壊れた人形みたいに感じることがあります。」


「感じないように生きてきた」


こうした“感情の不在”もまた、ヴァン・デア・コークが説くところの「情動麻痺(emotional numbing)」の一種である。
それは、感情がないのではなく、感じないようにすることで生きてきた結果なのだ。


では、どうすれば“感じる力”を取り戻せるのか?

ヴァン・デア・コークは、トラウマの回復には3つの要素が必要だと語っている。

それは、
安全な環境・共感的な関係・身体感覚の回復である。

  • 安全な場所で

  • 否定されない相手と

  • 自分の身体の感覚にそっと戻っていくこと

──このプロセスを通して、はじめて”「心」ではなく「神経系の状態」が変わっていく”


だからこそ、婚活という営みも、「完璧なスペックを揃えて市場に出る就活のようなもの」ではなく、誰かと一緒に“ぬくもりの地図”を描き直していく旅なのかもしれない


他人に頼ることを“負け”と見なしてきた人。

感じることが“危険”だと身体が覚えてしまった人。
「動けない自分」をずっと責めてきた人。


──もし、そういう自覚がある人には、まずはこう伝えたい。


「あなたが動けなかったのは、あなたが壊れていたからではない」
「それは、かつて“必死に自分を守ってきた証”なのだ」


そして、守ることに慣れた身体を、少しずつ、他者との関係のなかで“開いていく”という回復の道が、たしかに存在していることも。


携帯で話し込む親の側の女の子

婚活心理学Lesson4|「自分を信じられない」症候群──“親のまなざし”と内なる評価軸


「彼と付き合ってみようかと思うのに、いざLINEを返そうとすると急に不安になる」

「“私なんかがこの人を選んでいいのかな”と、なぜか自分が間違っているような気がする」
「好意をもらっても、“相手は自分の本当の姿をまだ知らないだけ”と、心のどこかで警戒してしまう」

──婚活や恋愛の現場で、こうした声は決して珍しくない。話を聞いてみると、親ガチャの人が本当に多い。


それは、いわゆる“自己肯定感の低さ”とも重なるが、単なる「自信のなさ」として片付けてしまってはいけない。

そこにはしばしば、「他人の目を内面化しすぎた結果としての、自己不信」が潜んでいる。


「”親のまなざし”を通して自我を確立」


幼い頃、私たちは「親のまなざし」を通して世界を見つめる。
もっと言えば、親が自分をどう見るかによって、「自分とは何者か」が形づくられていく


・学校の成績が少しでも悪いと、親の機嫌が露骨に悪くなった
・体調が悪くても、無理して笑顔で「大丈夫」と言う癖がついた
・夕飯のメニューへの反応ひとつで怒鳴られるのが日常で、いつも家の空気を読んでいた
・泣いたとき、「そんなことで泣くな」と一蹴され、悲しみを感じるのをやめていった


──このような体験を持つ人にとって、“自分で選ぶ”という行為そのものが怖くなる


なぜなら、選ぶとは「責任を引き受けること」だからだ。
そして、その責任を負うには、自分の判断を信じる力が必要になる。

だが、親のまなざしが「疑い」や「否定」や「期待の過剰」であった場合、その声はいつしか、“内なる批判者”として心の中に棲みつく。


「また振られるかもしれないから、やめておいたほうがいいんじゃない?」 

「そんなふうに相手に期待して、傷ついたらどうするの?」 

「本当にその人でいいの? 後悔するんじゃないの?」 

「あなたに誰かを幸せにするなんて、本当にできるの?」


──そうした声が、自分の内側から自分を問い詰めてくる。


「”内なる検閲者”としてのまなざし」


この“内なるまなざし”が強い人ほど、「選ぶこと」も「頼ること」も「信じること」もできなくなる。
結婚相手を目の前にしても、どこかで疑ってしまう。

「この人でいいのか」「もっといい人がいるんじゃないか」ではなく、
「こんな自分が誰かを選んでいいのか」という深い自己否定が、決断を曇らせていく。


自分を信じられない人は、恋愛において“理想化”か“諦め”のどちらかに走りやすい。


前者は、相手を完璧な存在として崇め、少しでも欠点を見つけた瞬間に落胆する。

後者は、最初から「どうせ自分なんか」と相手選びを放棄し、心を閉ざす。


しかし、どちらにも共通するのは、「自分の判断を信じられない苦しさ」だ。

この問題に対処するためには、単に“自信を持つ”ことでは足りない。


必要なのは、「親のまなざし」から解放されるプロセスである。


心理学ではこれを「分離・個体化」と呼ぶ。
つまり、親の価値観や期待から、自分自身を少しずつ切り離し、“自分の感覚”に耳を澄ませることを学び直すプロセスだ。


この概念は、発達心理学者マーガレット・マーラーが提唱した「分離・固体化理論」に由来している。
彼女は、子どもが母親との一体感から心理的に自立していくまでのプロセスを、段階的に詳細に記述した。

その過程がうまく支えられないまま成長した場合、大人になってからの恋愛や結婚において、“過度に相手に依存する”か“極端に距離を置く”といった不安定な関係パターンが生まれることがある。

したがって、親との心理的分離をやり直すことは、パートナーシップの質を根本から見直すうえで欠かせない作業となる。


「”親のまなざし”からの解放」


最初は怖いかもしれない。
罪悪感も湧いてくるかもしれない。

だが、「誰かを選ぶ」という行為は、実は「自分を信じる訓練」でもあるのだ。


「この人と一緒に朝ごはんを食べる未来を、ちょっとだけ想像してみたい」

「いま感じている不安は、たぶん昔の私が身につけた“防衛反応”だ」
「私は、怖くても、自分で選んでいい──それが、ちゃんと始めるってことなんだと思う」


そう心の中でつぶやくことで、私たちは親ガチャという過去の記憶ではなく、“今の自分の判断”に軸足を戻していける。

結婚とは、「正解の選択肢を見つけること」ではない。

それは、「選んだ先で、関係を育てていく勇気を持つこと」だ。

そしてその勇気は、「親のまなざし」ではなく、“自分のまなざし”に照らされて初めて、生まれてくる。


それはつまり、かつて誰かの評価や期待に合わせて生きてきた自分が、「私がどう感じるか」「私はこの人といたいか」といった、主観的な手触りを取り戻すことから始まる。


親ガチャが親の視線に怯えたり、誰かの視線に依存してきた“生き延びるための自己”から、“感じて選ぶ自己”へと、ゆっくりと舵を切っていくプロセスなのだ。



彼女に酷い言葉を言って後悔する男性

婚活心理学Lesson5|結婚=再現の恐怖?──「また同じことが起きる気がする」からの脱出



「人の顔色をうかがう」


「この人と結婚したら、また口うるさい相手に支配されるかもしれない」
「関係が深まるほど、自分の意見を言えなくなって、また“顔色をうかがう自分”に戻ってしまいそう」
「相手の怒りに怯えて、自分の本音を飲み込む──そんな子どもの頃と同じ毎日になる気がしてしまう」


そう感じて、あと一歩が踏み出せない人たちがいる。
彼らの不安は、ただ「失敗が怖い」や「自信がない」といった曖昧な不安ではなく、もっと具体的で切実なものだ。


たとえば、
「相手のちょっとした言い回しに、かつての親の怒鳴り声が重なってしまう」
「LINEの返信が遅れるだけで、強烈な見捨てられ不安が湧き上がってくる」
「“嫌われたくない”一心で、本当の感情を隠して笑ってしまう」


──そんなふうに、過去に刻まれた関係の傷が、未来を乗っ取ろうとする瞬間である。


私たちは、無意識のうちに、知っている“やり方”でしか人を愛せない。
そしてその“やり方”は、多くの場合、最初に学んだ親との関係に強く影響されている


・支配的だった親に対して「我慢すればうまくいく」と学んだ人は、パートナーに対しても過剰に合わせすぎてしまう。
・いつも情緒が不安定だった親に育てられた人は、「相手の機嫌を読む」ことが関係性の基本になってしまう。
・まったく干渉しない親だった人は、「(分離感から)自立しすぎてしまい、他者と感情を共有すること自体が難しくなる」。


──こうした“接し方のクセ”(構え)は、心の奥に沈んだ記憶としてではなく、日常の反応パターンとして、現在の恋愛や婚活に現れる。


「”自責”が強い」


そして何よりも苦しいのは、そうとは気づかないまま、自分を責めてしまうことだ。


「なんで私は、いつも大事な場面で相手を突き放してしまうんだろう」

「本当は寂しかったのに、強がって冷たいことを言ってしまった」
「うまくやりたいのに、素直になれなくて、結果的にまた関係を壊してしまう」


それは、あなたが未熟だからではない。

それは、あなたがまだ“別のやり方”を学ぶ機会を与えられてこなかっただけだ。


トラウマの本質とは、「過去の記憶が、現在の選択を支配すること」である。

過去と似た状況に直面したとき、心も身体も自動的に反応してしまう。
それはもはや“意識的な選択”ではない。


では、どうすれば「再現」から脱出できるのか?

その鍵は、“違う応答を経験すること”と、その体験の積み重ねにある。


たとえば、あなたが「怒られそう」と思っていた場面で、相手が静かに話を聴いてくれたとする。

「責められる」と身構えた瞬間に、「わかるよ」と寄り添ってもらえたとする。
すると、神経系が小さく震えながら、こうつぶやき始める。


「…あれ? 今回は違うかもしれない」

「この人は、怒鳴らない。静かに話を聴いてくれる」
「顔色をうかがわずに、言葉を選ばずに話しても、ちゃんとそばにいてくれる」
「この人の前では、逃げなくても、傷つかなくても、いいのかもしれない」


「再現から再構築へ」


そうした体験を通して、“再現”は“再構築”へと変わり始める。

結婚とは、親との関係のリプレイではない。それは、過去とは違う関係性を、“ふたりで育てていく”実験の場である。


過去の傷が完全に癒えることはないかもしれない。

だが、それを共有できる誰かと出会ったとき、その傷は、「繰り返すもの」ではなく、「語り直されるもの」に変わっていく。


大切なのは、“過去と似ていない相手(たとえば親と)”を見つけることではない。

大切なのは、“過去と違う応答”を交わせる相手との関係を築くことだ。


「また同じことが起きる気がする」


──そう感じたなら、今度こそ、自分が変わっていい。

その恐れを抱えながらも、
“別の関わり方”を選ぶ勇気が、親ガチャの未来を変えていく。



愛し方がわからない男性

婚活心理学Lesson6|結婚とは“安心を育てる旅”─婚活では愛され方より、愛し方を学ぶ


「どんな人と結婚したらいいですか?」


婚活を始めたばかりの人から、よく尋ねられる質問だ。
けれど、より適切で本質的な問いはむしろ、こうだろう。

「どんな人となら、“安心を育てていけるか?”」


「好き」や「条件」に気を取られるあまり、見落とされがちだが、結婚とは、「理想の相手に出会うこと」ではなく、“ふたりで関係性をつくっていくプロセス”である。


特に、愛着や親子関係に傷がある人にとって、結婚は単なる制度ではない。
それは、かつて満たされなかった“安心の感覚”を、人生の前半戦で育て直す再教育の場でもある。


精神分析家のD・W・ウィニコットは、幼少期に「環境が十分に応答してくれたかどうか」が、その後の自己感覚に決定的な影響を与えると述べた。

そして、応答が不十分だった人間にとっては、「信頼できる関係の中で、自分をもう一度育て直す」必要があるのだと。


この考えは、結婚に驚くほど深く通じる。

誰かと生活をともにするなかで、


・予定を急に変更したいとき、「どうしたの?」と静かに理由を聞いてもらえる
・落ち込んで口数が減ったときも、「話せるときでいいよ」とそっと寄り添ってもらえる
・夜、不安でなかなか眠れないときに、ただ背中を撫でて一緒にいてくれる


──そうした日々の積み重ねが、「私は大丈夫」「人を信じても大丈夫」という神経系の再編成を静かに進めていく。


ここで思い出したいのが、エーリッヒ・フロムの言葉だ。


「愛は技術(アート)である」


「愛は技術(アート)」
これは、今や確信を持って言えるのだが、ただの比喩ではない。

フロムにとって愛とは、感情でも出会いの奇跡でもなく、習得すべき“関係性の技術”だった。


彼は「愛とは応答のこと(の力、意志)」だとも述べている。

応答のお手本がなかったり、応答力が充分に育っていない人ほど(親ガチャはその典型だが)、受動攻撃に走りやすい。


つまり、私たちは「愛され方」を求めるのではなく、「愛する力」そのものを学んでいくべきなのだ。


「どうすれば、うまくいく関係をつくれますか?」
その問いに対して、完璧な答えはない。


だが一つだけ確かなのは、「安心は、育てることができる」という事実だ。

それは、小さな実践の積み重ねによって育まれる。


  • ・「今日は会いたくない」と言える関係をつくる 
  • ・相手の怒りや沈黙を、自分の人格否定と直結させないでいられるようになる
  • ・不機嫌な空気を感じても、それは相手の課題──と過剰に空気を読みすぎずに過ごせるようになる 
  • ・「わからない」「決められない」と正直に伝えても、関係が壊れない経験を積む 
  • ・何かを言わなくても、傍で一緒にいてくれることの意味を知る


──こうしたふるまいは、すべて「安心・安全という風景」の一部を形づくっていく。


「失敗しても、やり直せる結婚相手と」


婚活という言葉の裏には、どこか「短期決戦」「最適化」という空気が漂っている。
だが本来、結婚とは、“未熟なふたり”が互いに学び合いながら、「ひとつの空間」を育てていく長い旅である。
未熟で未完成であるだけでなく、誰もが子供時代が未完了な存在、それが人間だからだ。


そこに必要なのは、完璧な相手でも、燃え上がる恋でもない。

必要なのは、「失敗しても、やり直せる関係性」だ。


結婚とは、何度でも安心をやり直すことが許される共同体。

かつて“愛され方”を学び損ねた私たちが、今度は“愛し方”を学び直す場所。


だから、婚活とは、自分を取り戻す旅のひとつの入り口でもある。
たとえば、誰かに本音を話しても否定されなかった瞬間。

自分のダメなところを見せても引かれなかった瞬間。

ぎこちない自分でも受け入れてもらえた日常の積み重ね──そうした出来事が、過去とは違う“経験の書き換え”になっていく。


「ふたりで育てる関係」を、自分にも許していい。


誰かと一緒にいることで、“信じても裏切られなかった”という新しい身体記憶を、少しずつ育て直していけばいいのだ。

そんなふうに、自分にやさしく、語りかけてあげてほしい。



恋人の手を引く男性の手のアップ

婚活心理学Lesson終章|“親の物語”を超えて、“自分の人生”を生き始めるために


「”親の物語”の中で」


私たちは、思っている以上に「親の物語」の中で生きている。
言葉の癖も、感情の扱い方も、人との距離感も。

気づけばその多くが、親との関係の“再生産”になっていることがある。

けれど、私たちはそれに気づくことで、初めて問い直せるようになる。


「これは、本当に私自身の選択だろうか?」

「この感じ方は、“あのときの私”が必死で身につけた、生き延びるための防衛反応じゃないか?」
「“好き”とか“安心”って、本当は私の感情じゃなくて、“こういう時はこう感じるべき”と教え込まれた反応なんじゃないか?」
「私はいま、誰かと関係を築こうとしているのか、それともまだ“親の続きを演じている”だけなのか?」


こうした問いは、ときに痛みをともなう。
親を責めたくない気持ち、感謝している部分、もう過去にしたはずのこと──そうした感情がせめぎあう。


でも、それでも言いたい。

親のせいにすることと、親から自由になることは違う。


「親のせいだった」と認めることは、責任放棄ではない


むしろそれは、「自分は、なにに影響され、なにを背負わされてきたのか」を見つめる勇気だ。そしてその記憶を、“過去にあった事実”として、胸の外に取り出して、置いて見る行為だ。


大人になるとはそういうことだし、第一その”親”は過去の親、あなたの胸の中にしまいこまれ、今も棲んでいる’親の幻”に過ぎない(目の前の現実の親ではない)。

親から受け取ったものすべてを、肯定しようとしなくていい。

かといって、全部を否定する必要もない。


私たちに必要なのは、「どこまでが親の物語で、どこからが自分の人生の選択なのか」境界線を、自分の手で引いてみることだ!

そして、その線の向こう側に、“自分だけの物語”を始めていくことだ。


たとえば、それはこんな感覚かもしれない。

  • ・「また傷つくかもしれない。でも、次の週末もこの人と一緒に映画を観たいと思っている自分がいる」
  • ・「どう愛せばいいのかまだ分からないけど、“その都度話し合える関係”を、ふたりで練習していけばいいのかもしれない」
  • ・「私は、誰かと一緒に“おはよう”と“おやすみ”を交わせるような、静かな安心を少しずつ育てていける気がする」


そうやって、
他者との関係のなかで、自分を育て直していくこと。


「自分自身の育て直しを」


かつて、あなたは親の前で“わかってもらえなかった”小さな子どもだったかもしれない。
けれどこれからは、あなた自身がその子にとっての“やさしい大人”になれる。

恋愛も、結婚も、そのひとつの方法だ。

人は、何度でも出会い直すことができる。やり直すことができる。
他者と、そして、自分自身と。


結婚とは、たんに制度の問題ではない。

それは、自分を「どう愛したいか」「どう信じたいか」という意志の表明でもある。
そして、「私はこれから、新たな自分の人生を生きる」という静かな決意の始まりでもある。


親の物語を背負って、苦しんできたあなたへ。

そろそろ、もう、終わりにしていい。

これからは、自分の足で、自分の声で、
「私は、ここから始める」と宣言していい。

結婚に踏み出すとは、──特に親ガチャの自覚がある人ほど──、誰かと歩き出すだけではなく、本当は“自分と和解して、自分と再出発する”ことでもあるのだ。

そしてその歩みは、そう、いくつからだって遅すぎることはない。



補遺|背景理論とデータから見る“親ガチャ”時代の結婚不安


Ⅰ|“親ガチャ”という言葉の時代背景


「親ガチャ」という語は、元々スマホゲームにおける“ガチャ(くじ)”の比喩から生まれたネットスラングである。
2021年ごろからZ世代を中心に広まり、より深刻な問題に変容し、やがて社会全体に浸透していった。

この言葉には、「生まれる家庭を選べない」という切実な事実と、構造的な不平等が“自己責任”として処理されることへの反発が込められている。
背景には、日本社会の中で静かに広がってきた「努力では超えられない壁」の存在がある。


・奨学金返済に追われる若者
・親の学歴・収入によって進学・就職が決まる現実
・家庭内の情緒的な支えの格差
・恋愛・結婚市場における“出自”の可視化(マッチングアプリなど)

これらすべてが、若者たちの中に「人生は運で決まる」「愛される資格すら不平等だ」という感覚を育てている。


Ⅱ|ブルデューの「文化資本」理論


フランスの社会学者ピエール・ブルデューは、社会における格差を「経済資本(お金)」だけでなく、「文化資本」や「社会資本」によっても再生産されていると主張した。

  • 文化資本:教養、語彙、表現力、習慣、芸術や教育への感受性など

  • 社会資本:人間関係、ネットワーク、家族や友人の支援など

文化資本は、親の育て方・読書習慣・話し方・進路に関する知識・語りの構造にまで影響する。
恋愛や結婚においても、**「ふるまい方」「話し方」「不安をどう扱うか」**などが、無意識の階層性を生み出してしまう。

つまり、誰かを好きになることや、関係性を築くことすら、“学び”によって可能性が左右される。
これは、「好きになれない」「結婚に踏み出せない」と感じる人の背景を理解する上で、極めて重要な視点である。


Ⅲ|ベッセル・ヴァン・デア・コーク『The Body Keeps the Score』の要点


精神科医ベッセル・ヴァン・デア・コークの研究は、従来の「トラウマ=記憶の問題」という認識を覆した。
彼によれば、トラウマは“身体”に保存される


主なポイント:

  • フリーズ反応:心が無意識に“安全ではない”と判断したとき、身体が動けなくなる(思考停止・感情麻痺・関係回避)。

  • 情動麻痺(emotional numbing):感情が感じられなくなる状態。恋愛でときめかない、好きかどうかわからない、という形で現れる。

  • 回復の三要素

    1. 安全な環境(セーフティ)

    2. 共感的な関係(リレーション)

    3. 身体感覚の回復(ソマティック・アウェアネス)

結婚という親密な関係を築くには、これらがそろった“新しい出会い直し”の経験が不可欠である。


Ⅳ|日本における恋愛・結婚と社会的格差の交差点(近年の統計)


  • 厚生労働省「出生動向基本調査」(2021年)によれば、「経済的理由で結婚をためらう」人が20代〜30代で顕著に増加

  • 経済状況が安定していないと「家族をもつ資格がない」と感じる傾向は、特に男性に強い(社会的役割の圧力)。

  • また、女性側も「実家の支援の有無」や「育児・家事サポート可能かどうか」で、結婚への現実的判断をせざるを得ない場面が増えている。

  • 一方、学歴や職業に基づいた“結婚格差”も進行しており、高学歴・高収入層は同じ属性内で結婚しやすい「ホモソーシャル化」が進んでいる。

これらは、恋愛や結婚という“個人的な自由”が、いかに社会構造の中で方向づけられているかを示すものである。


Ⅴ|マーガレット・マーラーと「分離・固体化理論」


マーガレット・マーラー(Margaret Mahler)は、ハンガリー出身の精神科医・発達心理学者であり、主に乳幼児期の母子関係の発達過程を理論化した人物である。

彼女が提唱した「分離・固体化理論(Separation-Individuation Theory)」は、子どもが母親との心理的な一体性から離れ、独立した存在としての自己を獲得するまでの過程を段階的に示した画期的理論である。


この理論によると、子どもは生後すぐには母親と自分を区別しておらず、まるで“母子一体”のような状態から発達が始まる。

そして、生後4〜5か月ごろから、徐々に「自分」と「他者(母)」を分けて認識し始め、「接近と離脱」を繰り返しながら、最終的に心理的な“個”としての自己を形成していく。


この「分離・固体化」の過程が、十分に支えられ、見守られ、感情的に調律されたものであれば、子どもは“自立した自己”を土台に、他者と健全な関係性を築けるようになる。
逆に、この過程が過干渉・過放任・情緒的混乱によって妨げられると、「自己を持たないまま他者に依存する」「他者を怖れて関係を回避する」など、後の愛着やパートナーシップに不安定さをもたらす。


恋愛や結婚における“過度な一体化願望”や“極端な回避傾向”は、この分離・固体化プロセスの不全からくることがある。
したがって、結婚に踏み出せない人々の心理的背景を理解するうえで、マーラーの理論は非常に有効な視点を提供する。


締めくくりに


この論考が意図したのは、「親ガチャ」という一見、軽薄な言葉に隠された、
深い構造的な苦しみと、その中でどう希望を回復できるかという道筋を照らすことだった。

繰り返すが、社会性という広い文脈の中で、「親のせい」と語ることは責任転嫁ではない。
それは、自分の人生を取り戻すための、構造的な“問い直し”の第一歩である。


参考文献一覧(邦訳あり)


◆ 心理学・トラウマ・神経系の理解

  • マーガレット・S・マーラー著/高橋義夫監訳
    『乳幼児の心理的誕生──分離-個体化の発達理論』
    (誠信書房、1980)
    → 分離・固体化理論の基本文献。乳幼児期の発達と母子関係の心理的動態を通して、成人のパートナー関係の基礎を捉え直すことができる。

  • ベッセル・ヴァン・デア・コーク著(著)/柴田裕之訳
    『身体はトラウマを記録する──脳・心・体のつながりと回復のための手法』
    (紀伊國屋書店、2022)
    ※原題:The Body Keeps the Score(2014)
    → 本論考の核となる理論書。トラウマが感情だけでなく身体に記録される過程と回復の技術を詳述。

  • D・W・ウィニコット(著)/高橋徹訳
    『子ども・家族・外の世界』
    (岩崎学術出版社、2003)
    → 「十分に応答する母親」「真の自己と偽りの自己」など、愛着理論の基礎となる視点が多数含まれる。

  • ジュディス・ハーマン著/中井久夫訳
    『心的外傷と回復』
    (みすず書房、1999)
    → PTSD研究の古典。特に「安全・記憶・再接続」の三段階的回復プロセスは、ヴァン・デア・コークにも影響を与えた。


◆ 社会構造・文化資本・教育格差の理解

  • ピエール・ブルデュー著/竹内洋・稲増一憲監訳
    『ディスタンクシオン──社会的判断力批判 上・下』
    (藤原書店、1990)
    → フランス社会における文化資本の再生産を分析した社会学の金字塔。学術的だが、家庭による文化格差の原型が理解できる。

  • 苅谷剛彦著
    『教育格差──階層・地域・学歴』
    (ちくま新書、2001)
    → 日本におけるブルデュー的文化資本の再生産を実証的に分析。世代を超える教育格差とその心理的影響を読み解く。


◆ 愛と結婚、関係性の哲学的理解

  • エーリッヒ・フロム著/鈴木晶訳
    『愛するということ』
    (紀伊國屋書店、1991)
    → 「愛は技術である」という名言で知られる不朽の名著。成熟した愛と未成熟な愛の違いを明快に解説。

  • E・フロム著/堀秀彦訳
    『自由からの逃走』
    (東京創元社、1951)
    → 自由であることの孤独と不安、そしてそこから人が権威や同調へと逃げる心理の構造を分析。


◆ 関連する現代日本の動向・婚活環境の理解

  • NHK取材班 編
    『結婚と家族をめぐる現在──婚活・非婚・親子関係』
    (NHK出版新書、2020)
    → 現代日本の結婚観・家族観の変容を多角的に調査。若年層の結婚不安の背景として活用可能。

  • 坂爪真吾著
    『セックスと障害者』
    (イースト・プレス、2013)
    → 身体性と人間関係を考えるうえで補助的に有効。セーフティ・身体の所有感などを考えるヒントになる。


(婚活メンター・ひろ)



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